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  • はじめに、
    ”本の紹介”コンセプト説明
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    読書は、
     個人に対しては人格や教養の形成に真っ直ぐに繋がる
     会社に対してはコア・バリューの確認になる
    と考えています。

    また読書はマラソンの練習と似ていて、
    マラソンでスピード練習をしたり、ゆっくりと長い距離を走ったり、色々な練習をするのと同様、
    読書も乱読したり、精読したり、一人の著者の本を集中的に読んだり、色々な読書をするのがよいと考えます。

    マラソンの練習を継続的に行わないと、42.195キロまで行かず25~30キロ時点で走られなくなってしまうのと同様、読書も継続的に行っていないと、年をとってから人生をうまく歩めなくなっていくのかもしれません。

    どの様な本を読むかは自ら取捨選択するものなのですが、取捨選択の対象を考える際の参考になればと考え、
    ブログを通していくつか本を紹介させていただきます。

    いつか皆様と、様々な本をテーマにした対話をさせていただける機会を設けることが出来ましたら嬉しいと思っております。

    ※ブログの内容の一部は、これまで別のサイトで掲載していたものを整理し再掲載させていただいております。
     なおブログの日付は、最初に掲載した日付をそのまま記載させていただいております。

  • 2018.05
    知性の構造(西部邁)
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    五月病のことが話題になっていました。大学の新入生や新入社員などに見られる、新しい環境に適応できないことに起因する精神的な症状の総称です。五月のゴールデンウィーク後に起こるので五月病と呼ばれることは皆が承知のことです。

    『知性の構造』(1996年 西部邁)に 「日本は個人主義と集団主義の間の葛藤が少ない(緊張が足りない)、だから平衡感覚が未熟である。平行感覚を鍛えていないものは、突発的危機(外圧など)のなかで右往左往する」とあります。

    五月病は新入生や新入社員だけの問題ではないでしょう。大人になる過程で緊張や葛藤の中に身を置くことに慣れていない。そもそも日本は、単一民族であるし島国なので葛藤が少ない社会です。さらに国全体がウルトラ過保護になっています。

    組織の中では葛藤、つまりコンフリクトを避けて効率よく仕事をこなそうとするか、コンフリクトが有りすぎてお互いを避け話もしない。これでは個人としても組織としても強くなれない。だから、ひとたび組織の外や国外との葛藤や強い緊張が起こるとパニックを起こします。要するに、対応するためのバランス感覚が足りないのです。

    「葛藤」は学校や会社の中のいたるところに内包されています。だから、普段からそれらを避けるのではなく、しっかりと認識して上手に活用すればバランス感覚は身についていくと思います。


    ***
  • 2017.05
    第三の波(アルビン・トフラー )
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    アルビン・トフラーが『第三の波』を書いたのは1980年でした。トフラーは、現代文明が、第一の波(農業革命),第二の波(産業革命)に続く第三の波(情報革命)のうねりのなかにあるといったのです。

    私が『第三の波』を読んだのは、徳島にいた1981年か1982年です。恐らく当時の私は本の内容をほとんど理解することなく、ただ単に解ったような気になっていたのでしょう。35年後の今、再度読み返して、トフラーが言いたかったことをもう一度考えてみるのは有益だと思います。トフラーが1980年に予測した未来は今と違っているかもしれません。しかし、時代の流れを考えるにはどういう視座で考えるべきかというチャーターとなることは間違いありません。また、35年を経て、自分の成長(私の場合、単なる変化と言うべきか?)を確認する作業でもあるからです。

    第二の波(工業化社会)に成功した日本は、バブル崩壊後この20数年間、第三の波(情報化社会)に乗り遅れたままのように感じます。第二の波における日本の成功に危機感を持ったアメリカは、IT産業を主導し強引に第三の波の先頭を走りました。

    これからは、第四次産業革命の時代と言われています。

    これは「Industry 4.0」といわれているものです。この第四次産業革命は、インターネットと人工知能の本格的な導入によって、生産・供給システムの自動化、効率化を革命的に高めようとする試みです(革命的なんて総じてロクなものはありませんが)。「Industry 4.0」は世界規格をおさえたいドイツ政府が主導するものですが、この第四次産業革命の主役となる国はどこか? これは今後の日本の社会や経済を考える上でも非常に重要な点だと思います。

    日本文化や日本企業本来の意味を継承しながら、第四の波に乗って行くバランス感覚が大事なのでしょう。

    ***
  • 2017.02
    高瀬舟(森鴎外)
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    ただ漠然と、人の一生というような事を思ってみた。人は身に病があると、この病がなかったらと思う。 その日その日の食がないと、食ってゆかれたらと思う。万一の時に備えるたくわえがないと、少しでもたくわえがあったらと思う。 たくわえがあっても、またそのたくわえがもっと多かったらと思う。 かくのごとくに先から先へと考えてみれば、人はどこまで行って踏み止まることができるものやらわからない。


    『高瀬舟』 森鴎外(1916年)

    すでに所有しているもので満足することを知らないのはアメリカ人の特性だったのですが、こういった感情についても、日本は四半世紀遅れてアメリカを追いかけているような気がします。

    もっと快適にしたい、もっと愛し愛されたい、もっと知識が欲しい、もっと所有物を増やしたい、もっと美味しいものが食べたい、もっと楽しみたい、、、。 幸福と快楽を倒錯したように「もっと」を獲得するためだけに情熱を燃やす。

    恐らく、感謝する気持ちが足りないのでしょうね。自分のモチベーション(原動力)が何処から来ているのか? 「もっと」だけがモチベーションであれば、年をとるごとに利己的な傾向が強まるでしょう。知足(足るを知る)を意識すれば、他人に目を向けることができるのかも知れません。

    超高齢化社会で考えなければならない事って、こういったことじゃないでしょうか?


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  • 2016.12
    日本教の社会学(山本七平)
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    【第1部】 日本社会の戦前、戦後
    第1章 戦後日本は民主主義国家ではない
    第2章 戦前日本は軍国主義国家ではない

    【第2部】 神学としての日本教
    第3章 宗教へのコメント
    第4章 日本教の教義
    第5章 日本教の救済儀礼
    第6章 日本教における神議論
    第7章 日本教ファンダメンタリズム

    【第3部】現代日本社会の成立と日本教の倫理
    第8章 日本資本主義の精神
    第9章 日本資本主義の基盤―崎門の学

    1981年の本が復刻されました。 1990年代、在米日本企業の人たちと話をするときに、かなり多くを引用させてもらいました。 特に、第8章の「日本資本主義の精神」は、海外で仕事をする日本人にとって必読だと思います。 契約に関する考え方は、欧米流と日本型の精神の違いを頭に入れておかないと、現地社員との間に大きな誤解を生むことになります。


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  • 2016.10
    50歳までに「生き生きした老い」を準備する(ジョージ・E.ヴァイラント)
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    今の日本を見ていると、どうも明治維新からの日本の近代化に問題があると言わざるを得ません。 明治・大正・昭和、紆余曲折はあったのでしょうが、特に、ここ70年の日本には国家としての「アイデンティティ(identity)」が非常に希薄です。

    福沢諭吉は140年ほど前に、「一身独立して一国独立す」(『学問のすすめ』三篇)と説きました。 一身が独立していないということは、個人のアイデンティティ(自分は何者か?)が確立されていないということです。

    これは、これから超高齢化社会を迎える日本にとって、極めて憂慮すべきことだと思います。


    『50歳までに「生き生きした老い」を準備する』に、「幸せな老いに必要な成人の6つの発達課題」が紹介されています。 6つの発達課題の最初に来るのがアイデンティティです。 すなわち、保護者からの独立という意味で、大人になるということです。

    1 Identity 自我意識の確立、保護者からの独立。
    2 Intimacy 親密さ。他者との関係を構築する。
    3 Career Consolidation 仕事でのキャリアと人生観の統合。
    4 Generativity 次世代に自分が得たものを伝える。
    5 Keeper of the Meaning 社会に貢献する。「公」を考える。
    6 Integrity これまでの人生を統合する。


    以下は本の中で私が共感したポイントです。
     ●高齢の友人を失っても、遊びと創造することを学ぶ若い友人を獲得すれば、その人生の喜びは大きくなる。
     ●生き生きした老いに必要なのは、能動的であること、主体的であること、ネットワーキングと自己啓発である。
     ●幸福な老いの秘訣は、金銭ではなく、むしろ自己管理と愛情である。
     ●退職後の4つの基本課題とは、①新しいネットワークをつくる、②遊ぶ、③創造する、④学ぶ。
     ●いま何を知っているかよりも、新しいことを学ぶ能力が大切。


    ***
  • 2016.08
    学問のすすめ(福沢諭吉)
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    これまで10年に一回くらいのわりで読んでいます。福沢諭吉には今でも好感を持っていません。どちらかと言うと「嫌な奴だ」というイメージがあるのです。しかし、『学問のすすめ』ではいいことをいっぱい言っています。「さすが、お札になるだけの人だ!」。

    『学問のすすめ』は17編より成っています。福沢諭吉は「小学の教授本」と言っているのですが、小学とは小学生のことです。ただし、四編と五編は学者向けに論じたようです(本文中に書いてあります)。

    ○●○ ○●○ ○●○ ○●○

    啓蒙思想家の福沢諭吉は大した人物です。今の日本の教育にも、コンサルタントの世界にも、学習する価値は十分にあります。真理をついているからでしょうね。

    今の政治家先生たちは読んだかな?

    10年以上前に『学問のすすめ』を読んだ時は特に何とも思いませんでした。ところが、今読んでみると全く違った印象を受けるのです。面白いものです。要するに、自分も年を重ねるうちに、右や左、上や下に変化しているということだろうと思います。

    ○●○ ○●○ ○●○ ○●○

    初編

    「天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず」という誰でも知っている部分です。しかし、本当の意味を知っている人は少ないのではないでしょうか?

    福沢諭吉の問いかけは、「天は人の上に、、、と言われるが、世の中にはなぜ金持ちや貧乏人ができ、賢い人がいたり愚かな人がいるのでしょうか?」です。

    人学ばざれば智なし、智なき者は愚人なりとあり。されば賢人と善人と悪人との別は、学ぶと学ばざるとに由って出来るものなり。また世の中にむつかしき仕事もあり、やすき仕事もあり。そのむつかしき仕事をする者を身分重き人と名づけ、やすき仕事をする者を身分軽き人という。

    「学ばないとちゃんとした大人にならないよ。しっかり学ぶのはあんたたち小学生の義務であり責任なのよ」と説明しています。この初編の冒頭の部分は全体の枕になる部分です。一般には「天は人の上に、、、」が一人歩きして平等について語っているような印象がありますが、そうではありません。「学問をしないとロクな大人にならないよ、日本はとんでもない国になるよ」という警告なのです。

    初編ではもう一ついいことを言っています。「自由」と「我儘」の違いです。英語で言えば「FREEDOM」(自由)と「LICENSE」(勝手気ままな自由)の違いです。日本ではFREEDOMとLICENSEの区別が非常に曖昧で、日本の自由は英語で言うLICENSEのような感じがします。

    (注)LICENSEという言葉は『学問のすすめ』には出てきません。

    ただ自由自在とのみ唱えて分限を知らざれば我が儘放蕩に陥ること多し。即ちその分限とは、天の道理に基づき人の情に従い、他人の妨げをなさずして我一身の自由を達することなり。自由と我儘の界(さかい)は、他人の妨げをなすとなさざるとの間にあり。


    二編

    平等に関して書かれています。

    人と人との釣合を問えばこれを同等と言わざるを得ず。但しその同等とは有様の等しきを言うに非ず、権理通義の等しきを言うなり。


    権理通義とは、権利、道理、世間一般に通じる意義のことであり、平等とは基本的人権の平等を言っています。決して結果に対する平等という意味ではありません。また、悪政・愚政は国民の無知によるところが大きいと言っています。今の日本には耳が痛い話です。

    人民もし暴政を避けんと欲せば、速やかに学問に志し自ら才徳を高くして、政府と相対し同位同等の地位に登らざるべからず。これ即ち余輩の勧むる学問の趣意なり。

    このあたりはギリシャの哲学者ソクラテス、プラトンにも通じるでしょう。恐らく、福沢諭吉のことだからギリシャ哲学は勉強したのでしょう、「民主主義の行きつくところは衆愚政治だ」と。今の日本に対する警告には聞こえませんか? 今のTVは衆愚を加速させる触媒(メディア)だと思いませんか?


    三編

    これは独立心について。つまり、「依存心ばかり強いと国は独立しません」と言っています。もっともな話です。今の日本は国家国民相互依存型だ。更に外国に依存する自己欺瞞国家です。

    外国に対して我国を守らんには、自由独立の気風を全国に充満せしめ、国中の人々貴賤上下の別なく、その国を自分の身の上に引き受け、智者も愚者も目くらも目あきも、各々その国人たるの分を尽さざるべからず。

    「人民に独立の心なきより生ずる災害なり」と言って事例を3つ挙げ、次のセンテンスでまとめています。依存心という言葉のかわりに「独立の心」を使っています。

    今の世に生れ苟も愛国の意あらん者は、官私を問わず先ず自己の独立を謀り、余力あらば他人の独立を助け成すべし。父兄は子弟に独立を教え、教師は生徒に独立を勧め、士農工商共に独立して国を守らざるべからず。概してこれを言えば、人を束縛して独り心配を求むるより、人を放ちて共に苦楽を与にするに若かざるなり。

    「与」というのは仲間という意味です。関与の与。与力の与でもあります。政府は国民を独立させて(国民の依存心を取り払い)国民と苦楽をともにしなさいと言っています。父兄や教師に対しては、「子弟や生徒の独立心を育みなさい」と強調しています。これはアメリカの公立学校の基本精神であります。親が独立していない場合、子供の独立を助け成すことはできるのでしょうか?


    四編

    この四編も重要です。なぜ独立心が重要かを説明しています。「日本は独立国か?」という問いかけから始まってどきっとするのです。「日本が独立するには政府だけでなくて国民一人一人にも責任はあるのですよ」と言っています。果たして、今の日本の政治家にこういった意識・感覚があるのでしょうか?

    政は一国の働きなり、この働きを調和して国の独立を保たんとするには、内に政府の力あり、外の人民の力あり、内外相応じてその力を平均せざるべからず。故に政府はなお生力の如く、人民はなお外物の刺衝の如し、今俄にこの刺衝を去り、ただ政府の働くところに任してこれを放頓することあれば、国の独立は一日も保つべからず。苟(いやしく)も人身窮理の義を明らかにし、その定則をもって一国経済の議論に施すことを知る者は、この理を疑うことなかるべし。

    「国民は一人一人が独立し政府に対しての刺激とならんとアカンのよ」と言っています。人身窮理、、、難しい言葉ですね。これは江戸時代の生理学のことだそうです(辞書を引きました)。ここでは道理を追求するという意味で、理にかなった道を追求しなさいという意味です。窮理は易経の言葉でもあるので、福沢さんはさすがに学者ですね、片鱗をみせています。

    苟もこの国に生まれて日本人の名ある者は、これに寒心せざるを得んや。今我輩もこの国に生まれて日本人の名あり、既にその名あればまた各々その分を明らかにして尽くすところなかるべからず。固(もと)より政の字の義に限りたる事をなすは政府の任なれども、人間の事務には政府の関わるべからざるものもまた多し。故に一国の全体を整理するには、人民と政府と両立して始めてその成功を得べきものなれば、我輩は国民たるの分限を尽くし、政府は政府たるの分限を尽くし、互いに相助けもって全国の独立を維持せざるべからず。

    この部分は全体の中でも気に入っているパラグラフです。私は国粋主義者でも何でもありませんが、たまたま日本という国に生まれて日本人として生きています。アメリカが引き留める力よりも、この日本人の部分の力のほうが大きかったから帰ってきたとも言えます(大袈裟ですね、、、)。諭吉つぁんは、「政府に関しては大久保さん伊藤さんに任せたよ、自分は人民の教育に頑張るから」と言っているのでしょう。

    ○●○ ○●○ ○●○ ○●○

    伊藤博文は千円札で福沢諭吉が一万円札。大久保利通や勝海舟はお札にならない、、、、不思議ですね。


    七編

    七編は、国家と国民の関係を説明しています。国とか国民の役割を分かりやすく説明するのもいいかも知れません(いまどき日本では「国」とか言うと右翼だと言われるか?)。国会議員の先生方の中にも、国民と言わずに市民という先生方も多いのです。

    凡そ国民たる者は一人の身にして2箇条の勤めあり。その一の勤めは政府の下に立つ一人の民たるところにてこれを論ず。即ち客の積りなり。その二の勤めは国中の人民申し合わせて一国と名づくる会社を結び社の法を立ててこれを施し行うことなり、即ち主人の積もりなり。
    (中略) 第一 客の身分をもって論ずれば、一国の人民は国法を重んじ人間同等の趣意を忘るべからず。 第二 主人の身分をもって論ずれば、一国の人民は即ち政府なり。その故は一国中の人民悉皆(しっかい)政(まつりごと)をなすべきものに非ざれば、政府なるものを設けてこれに国政を任せ、人民の名代として事務を取扱わしむべしとの約束を定めたればなり。故に人民は家元なり、また主人なり、。政府は名代人なり、また支配人なり。


    このあたりの説明は小学生には難しいかも知れません。要するに、政府の役人は公僕よ、主権は民にあるのよと説明しています。恐らく、今の日本人はこういった感覚が麻痺しているのではないかと思います。

    次のパラグラフも基本的な国家と国民の関係に関してです。つまり、税金のことです。「国民の義務としてお金がかかるよ」と説明しています。国民の三大義務である納税の義務を忘れて、お金を貰うことだけに邁進する日本国民とは本当に国民なのかと思ってしまいます。

    人民は既に一国の家元にて国を護るための入用を払うは固(もと)よりその職分なれば、この入用を出すにつき決して不平の顔色を見わすべからず。国を護るためには役人の給料なかるべからず、海陸の軍費なかるべからず、裁判所の入用もあり、地方官の入用もあり、その高を集めてこれを見れば大金のように思わるれども、一人前の頭に割付けて何程なるや。日本にて歳入の高を集めてこれを見れば大金のように思わるれども、一人前に一円か二円なるべし。一年の間に僅か一、二円の金を払うて政府の保護を被り、夜盗押込の患(わざわい)もなく、独旅行(ひとりたび)に山賊の恐れもなくして、安穏にこの世を渡るは大なる便利ならずや。凡そ世の中に割合よき商売ありと雖(いえ)ども、運上を払うて政府の保護を買うほど安きものはなかるべし。

    ○●○ ○●○ ○●○ ○●○

    福沢さんは10歳を「人心の出来し時」と言っています。人生の計画表(ROAD MAP)を作成するような話を子供にしても面白いかもしれません。

    ○●○ ○●○ ○●○ ○●○


    八編

    人間の権利と義務についてです。この編は福沢諭吉が読んだ本の受け売りですね。

    アメリカのウェイランドとなる人の著したる「モラルサイヤンス」という書に、人の心身の自由を論じたること在り。

    第一、 人には各々身体あり。
    第二、 人には各々智恵あり。
    第三、 人には各々情欲あり。
    第四、 人には各々至誠の本心あり。
    第五、 人には各々意思あり。

    以上五つの者は人に欠くべからざる性質にして、この性質の力を自由自在に取扱い、もって一身の独立をなすものなり。
    (中略)
    ただこの五つの力を用いるに当たり、天より定めたる法に従って、分限を越えざること緊要なるのみ。即ちその分限とは、我もこの力を用い他人もこの力を用いて相互にその働きを妨げざるを言うなり。かくの如く人たる者の分限を誤らずして世を渡るときは、人に咎められることもなく、天に罰せらるることもなかるべし。これを人間の権義と言うなり。


    人間には、①身体(ハードウェアとしての)、②知恵(ソフトウェアとしての)、③欲望(人間の様々な欲)、④誠実さ(誠の心)、⑤意志の力、これら5つの性質がある。これらは人間が誰でも持っているものであり、各人はこれらのバランスをとらなくてはいけない。欲望がなくては目的を達することができないし、欲望は誠の心でコントロールされる。

    また、意志がないと目的は成就されない。意志は「志」で企業で言えばビジョンや理念のようなものでしょう。他人も5つの性質を持っているのであり、各人は自分の5つの性質をうまくコントロールすること(分限を越えざる事)が、人間の権利と義務(権義)なのであると解説しています。


    九編と十編

    九編と十編は二つで一つです。

    九編のまとめは十編の冒頭に書かれています。衣食が足りただけで満足しちゃアカンよ。人のネットワークの中に飛び込んで(人は一人では生きられない)、ネットワークの一員として世のために尽くさないと愚かものか虫けらのようなものだと解いています。

    これは、人的ネットワークを大事にしなさい。その中で自分の役割を果たしなさい。将来的に必ず見返りがありますよ、質の高い人的ネットワークに自分の身をおけば(投資)、必ず成長しますよ(投資に対するリターン)と言うことでもあるかなと、私なりに拡大解釈しました。

    人たるものはただ一身一家の衣食を給しもって自ら満足すべからず、人の天性にはなおこれよりも高き約束あるものなれば、人間交際の仲間に入り、その仲間たる身分をもって世のために勉むるところなかるべからず。

    これは十編の冒頭にある九編のまとめです。

    私が「福沢の諭吉さん、あんさんキツイねぇ~」と思うのは以下の部分。

    我輩の職務は、今日この世に居り我輩の生々したる痕跡を遺して、遠くこれを後世子孫に伝うるの一事に在り。その任また重しと言うべし。豈(あに)ただ数巻の学校本を読み、商となり工となり、小吏となり、年に数百の金を得て僅かに際しを養いもって自ら満足すべけんや。こはただ他人を害せざるのみ、他人を益する者に非ず。

    単に本を読んで何らかの仕事をして妻子を養って他人に迷惑をかけないだけの人生ではだめだ。それでは意味のある人生とは言えないと言っています。

    これは私のようにアラ還の身にはキツイ一言だ。今更言われてももう手遅れです。だから、小学生に対して思いっきり高い人生のレベルセットをするのは意味があるのでしょう。明治の小学生は今よりもずっとレベルが高かったのか?今の小学生は20~30年前より精神的なレベルが低いと聞きますが、このまま時の流れに身を委ねていくと日本人のレベルは100年後にはどうなるのか?

    自由独立と言うときには、その字義の中に自ずからまた義務の考えなかるべからず。独立とは一軒の家に居住して他人へ衣食を仰がずとの義のみに非ず。こはただ内の義務なり。なお一歩進めて外の義務を論ずれば、日本国に居て日本人たるの名を恥しめず、国中の人と共に力を尽くし、この日本国をして自由独立の地位を得せしめ、始めて内外の義務を終えたりと言うべし。

    上の部分はリーダーシップ教育のフレーズでもあると思います。「日本人としてグローバルで立派な人になりなさい、そして日本を自由独立の一流の国にしなさい」と言っているように聞こえるのです。

    方今天下の形勢、文明はその名あれども未だその実を見ず、外の形は備われども内の精神は耗し。今の我海陸軍をもって西洋諸国の兵と戦うべきや、決して戦うべからず。今の我学術をもって西洋人に教ゆべきや、決して教ゆべきものなし。却ってこれを彼に学んで、なおその及ばざるを恐るるのみ。

    これは、「自分を客観的に冷静に眺めるとまだまだダメだよね。外見だけはなんとなく体裁がついているようだけど、中身は全くないではないか」と、中身の無さに警鐘を鳴らしています。

    九、十編はかなり手厳しい福沢諭吉の(明治初期の)現状認識です。まさか、福沢諭吉は130年後の日本人の精神レベルはもっと下がっているとは思ってもみなかったでしょう。


    第十二編

    演説とは英語にて「スピイチ」と言い、大勢の人を会して説を述べ、席上にて我思うところを人に伝うるの法なり。
    (中略)
    学問の本趣意は読書のみに非ずして精神の働きに在り。この働きを活用して実施に施すには様々の工夫なかるべからず。「オブセルウェーション」とは事物を視察することなり。「リーゾニング」とは事物の道理を推求して自分の説を付(つく)ることなり。この二箇条にては固より未だ学問の方便を尽くしたりと言うべからず。なおこの外に書を読まざるべからず、書を著さざるべからず、人と談話せざるべからず、人に向かって言を述べざるべからず、この諸件の術を用い尽くして初めて学問を勉強する人と言うべし。即ち、視察、推求、読書はもって智見を集め、談話はもって智見を交易し、著書演説はもって、智見を散ずるの術なり。
    (後略)


    「本を読んで、文章を書いて、人と議論して、人にプレゼンしなさい。これらをやってはじめて勉強する人だといえるのです」。「観察、推察、研究をして知識を蓄積し、議論して意見交換し、文章を書いてプレゼンして知識をひろめなさい」。

    これは、アメリカのK-12(義務教育)からMBAに至るまで首尾一貫した考えに近いと思います。福沢諭吉さんは『学問のすすめ』のなかで非常にいいことをいっぱい言ってくれています。


    十三編

    ここでは「怨望(えんぼう)」について説明しています。人を怨む心が諸悪の根源だと言っています。ワーキングプアの議論かと思ったのですが、読み返すとそうでもありませんでした。最初にそう思ったのは、自分の貧困を人のせいにするようなことが福沢諭吉の言っている「怨望」だと思ったからでした。

    私は弱者を救済するなと言っている訳ではなく、貧困にも色々と理由があって本人に原因がある場合もあるだろうから全部をひとまとめにして救済キャンペーンはオカシイだろうと思うのです。

    この編で一番共感したところは、「人を受け入れることができなければ、他人もアンタのこと受け入れてくれないよ」と言うくだりです。これはコンサルタントの資質としても重要であり、リーダーの資質でも重要なことです。自分のことを全く語らず他人の共感を得ることは難しいのです。「リーダーは孤独であるべきだ」と多くを語らないリーダーは多いのですが、どうでしょう? 私はやはりユーモアがあって魅力的な人がトップにいる方が好ましいと思います。

    心志怯弱(きょうじゃく)にして物に接するの勇なく、その度量狭小にして人を容ること能わず、人を容るること能わざれば人もまたこれを容れず、彼も一歩を退け我もまた一歩を退け、歩々相遠ざかりて遂に異類の者の如くなり、後には讐敵の如くなりて、互いに怨望するに至ることあり。世の中に大なる禍と言うべし。また人間の交際において、相手の人を見ずしてそのなしたる事を見るか、もしくはその人の言を遠方より伝え聞きて、少しく我意に叶わざるものあれば、必ず同情相憐れむの心をば生ぜずして、却ってこれを忌み嫌うの念を起こし、これを悪んでその実に過ぐること多し。これまた人の天性と習慣とに由って然るものなり。物事の相談に伝言文通にて整わざるものも、直談にて円く収まることあり。

    フェイス・トゥ・フェイスのコミュニケーションは大事ですよと言っています。その通りです。


    十四編

    十四編はなかなか含蓄があります。特に下の部分は私には耳が痛い、、。

    生涯の内または十年の内にこれを成すと言う者は最も多く、三年の内にと言う者はやや少なく、一月の内或いは今日この事を企てて今正にこれを行うと言う者は殆ど稀にして、十年前に企てたる事を今既に成したりというがごときは余輩未だその人を見ず。

    かくの如く期限の長き未来を言うときには大造なる事を企つるようなれども、その期限漸く近くして今月今日と迫るに従って、明らかにその企ての次第を述ぶること能わざるは、必竟事を企つるに当たって時日の長短を勘定に入れざるより生ずる不都合なり。


    アメリカでよく90 DAYS ACTION PLANは?と聞かれるのはこう言ったことかも知れません。

    長期のビジョンだけを語って近々の具体的なアクションプランがなければ、それは意味がない。 「長期ビジョンと言って大袈裟なこと言ってもそれは単なる大法螺吹きじゃないか!」と言われているようで耳が痛いのです。

    次に、「人生の棚卸し」をしなさいと言っています。「スキルだけでなく精神の棚卸しもしなさい」と言っているところが福沢さんらしいところです。福沢諭吉は「人心の出来し時」を10歳くらいと明記しています。アメリカ人が、「9歳頃で人の人格はほぼ決まる」と言っているのを聞いたことがあります。人生の棚卸しは10歳くらいから始めないといけないと福沢諭吉は諭しています(そうか、諭吉の諭は諭すだ!)。この頃に一度人生のロードマップを作るのがいいのかも知れません。

    人間生々の商売は、十歳前後人心の出来し時より始めたるものなれば、平生智徳事業の帳合を精密にして、勉めて損亡を引請けざるように心掛けざるべからず。

    商売の勘定は定期的な棚卸しをやって損益を確認するように、人の勘定も十歳くらいから、、、と言っています。

    「世話」の字の意味するところは大事です。

    世話には保護の意味と命令(指示)の意味がある。二つが揃わないと世話の意味がない。世話だけしていたのでは過保護であり、命令(指示)がないと正しくガイドできないと言っているのです。日本は社会全体が過保護すぎて、過保護が何なのか分かり難くなっています。だから、日本を出ると忽ち困ってしまいます。命令(指示)はDOsとDON’Tsを明確に命令することです。

    世話の字に二つの意味あり、一は保護の義なり、一は命令の義なり。保護とは人の事につき傍らより番をして防ぎ護り、或いはこれに財物を与え或いはこれがために時を費やし、その人をして利益をも面目をも失わしめざるように世話をすることなり。命令とは人のために考えて、その人の身に便利ならんと思うことを差図し、不便利ならんと思うことには異見を加え、心の丈けを尽くして忠告することにて、これまた世話の義なり。


    十五編

    十五編は取捨選択の話。「事物を疑って取捨を断ずる事」。

    情報氾濫のインターネット時代には一層この取捨選択の能力が必要になると思います。何を信じて何を疑うのか。「確固たる信念を持て」と。日本の子供たちにはTVを見せないことが先ずは第一歩かもしれません。

    福沢諭吉は言及していませんが、取捨選択する以前に自分自身のVISIONを持たないと取捨選択する情報は集まって来ないと言うのが私の考えです(明治の日本人にとっては当たり前なので特にこういったことは言わないのかも知れません)。

    例えば「子供の教育に関心があって何とかしたい」と常日頃から思っていたら、「子供の教育」に関する情報が自然と集まってくる。これは問題意識のなせるワザかも知れない。何の問題意識もなければ氾濫する情報の中に身を任せるのみです。

    事物の軽々信ずべからざること果たして是ならば、またこれを軽々疑うべからず。この信疑の際につき必ず取捨の明なかるべからず。蓋(けだ)し学問の要は、この明智を明らかにするに在るものならん。

    このセンテンスだけでも日本の現行教育ってこれでいいのかと思ってしまいます。親がいつも子供に「自分が納得するまで質問しなさいよ」と言っていたらどういった子供に育つでしょうか?自分が納得するまで質問したら受験戦争に勝てない?

    十五編の最後に「我々がしっかりせねばならん」と訴えかけていますが、「我党の学者あるのみ」が具体的に誰を指しているのかはよくわからない(たぶん、慶応の研究者や先生に対してだろう)。このあたりは、巷の解説書で確認して下さい。

    されば今の日本に行わるるところの事物は、果して今の如くにしてその当を得たるものか、商売会社の法令の如くにして可ならんか、政府の体裁今の如くにして可ならんか、教育の制令の如くにして可ならんか、著書の風今の如くにして可ならんか、加之現に余輩学問の法も今日の路に従って可ならんか、これを思えば百疑並び生じて殆ど暗中に物を探るが如し。この雑沓混乱の最中に居て、よく東西の事物を比較し、信じ、疑うべきを疑い、取るべきを取り、捨つべきを捨て、信疑取捨その宜しきを得んとするはまた難きに非ずや。然りしこうして今この責に任ずる者は、他なし、ただ一種我党の学者あるのみ。

    もし、これが慶応の先生を指しているのであれば、教師の役目は重要だと言うことです。死ぬまで両親が尊敬できて、自分が教わった先生を尊敬できることが理想だと思います。勿論、先輩や友人も尊敬できればいい。

    私の場合はアウトローだったので、小学生の頃から学校とは「先生との闘争の場」でした。全てにおいて反体制をきどっていた「かわいくないガキ」だったのです。


    十六編

    十六編は最後の部分がいいと思います。「人を批判する前に相手の立場にたってみろ」ということです。「独立の意味には2つある。それは有形(物)と無形(精神)である」から始まります。

    独立に二種の別あり、一は有形なり、一は無形なり。なお手近く言えば品物につきての独立と、精神につきての独立と、二様に区別あるなり。

    議論と実業に展開している。議論は学問の世界だと思う。実業は現実の世界。うがった見方をすると、このあたりは学者である福沢諭吉のコンプレックスなのかなと。自分は学者で議論はやってきたが実業は経験していない。これではダメじゃないかと英米のビジネス書を読んで考え込んだのかも知れません(そんなヤワじゃないか、、、)。

    議論と実業と両(ふたつ)ながらその宜しきを得ざるべからずとのことは普(あまね)く人の言うところなれども、この言うところなるものもまたただ議論となるのみにして、これを実地に行う者甚だ少なし。そもそも議論とは心に思うところを言に発し書に記すものなり。或いは未だ言と書に発せざれば、これをその人の心事といいまたはその人の志という。故に議論は外物に縁なきものと言うも可なり。必竟内に存するものなり、自由なるものなり、制限なきものなり。実業とは心に思うところを外に顕わし、外物に接して処置を施すことなり。故に実業には必ず制限なきを得ず、外物に制せられて自由なるを得ざるものなり。古人がこの両様を区別するには、或いは言と行といい、或いは志しと功といえり。また今日俗間にて言うところの説と働きなるものも即ちこれなり。

    「Criticizing is something different from doing something」。
    これはビル・クリントンが大統領在任中に発した唯一の私が好きな言葉です。

    人の仕事を見て心に不満足なりと思わば、自らその事を執ってこれを試むべし、人の商売を見て拙なりと思わば、自らその商売に当たってこれを試むべし。隣家の世帯を見て不取締と思わば、自らこれを自家に試むべし。人の著書を評せんと欲せば、自ら筆を執って書を著わすべし。学者を評せんと欲せば学者たるべし。医者を評せんと欲せば医者たるべし。至大の事より至細の事に至るまで、他人の働きに嘴を入れんと欲せば、試みに身をその働きの地位に置きて身自から顧みざるべからず。或いは職業の全く相異なるものあれば、よくその働きの難易軽重を計り、異類の仕事にてもただ働きと働きとをもって自他の比較をなさば大なる謬(あやまり)なかるべし。


    十七編

    最後は人望論。

    福沢諭吉は「学問のすすめ」を書いていくうちで、自分に人望がないことに気づき、自分に友達が少ないことに気づいた。だから、最後に人望論を書いてここで「学問のすすめ」を書くのを止めたのでしょうか?

    とにかく、これが最終回、そして人望について、友達をいっぱいつくることが肝要であると言っています。

    私の福沢諭吉に対する感想はきわめて主観的、先入観の強いものであり、福沢諭吉の伝記のようなものさえ多くは読んだことがありません。だから、すごく失礼なことを言っているかも知れません。

    十人の見るところ、百人の指すところにて、何某は慥(たし)かなる人なり、頼母しき人物なり、この始末を託しても必ず間違いなからん、この仕事を任しても必ず成就することならんと、預めその人柄を当てにして世上一般より望みを掛けらるる人を称して、人望を得る人物と言う。凡そ人間世界に人望の大小軽重はあれども、苟(かりそめ)にも人に当てにせらるる人に非ざれば何の用にも立たぬものなり。

    自分の意見を提示し説明し質疑応答し相手に納得してもらって共感してもらう。そうして周りの人から支持されるような人でないとダメだと言っています。これもコンサルタント会社のプロモーション(人事考課)に似ています。いくら優秀で数字があがっても周りに支持されないとパートナー(執行役員)にはなれない(なってしまう人がいるところが問題だが、、、)。

    世のため人のために働くには以下のことに気をつけなさいと説明しています。

    1. 言語をまなばざるべからず。日本人なんだから日本語をしっかり勉強しなさい。
    2. 顔色容姿を快くして、一見、直ちに人に厭わるること無きを要す。いつも明るく前向きに、服装は身綺麗にして人に嫌われることのないように。外見は大事ですよ、と。
    3. 道同じからざれば相与(とも)に謀らずと。これは「論語」からの引用。福沢諭吉は孔子に批判的ですね。恐らく虚学(議論)として忌み嫌う代名詞として使っているのかも知れない(要確認)。

    この3つめはどう解釈するのでしょう?

    すぐ後のパラグラフから最後まで「専門分野に拘わらず友達をいっぱい作りなさい」と説明しています。だから、3つめは道が違っても仲間(与)をいっぱい作りなさいと言っているのだろうと思います。

    試みに思え、世間の士君子、一旦の偶然に人に遭うて生涯の親友たる者あるに非ずや。十人に遭うて一人のぐうぜんに当たらば、二十人に接して二人の偶然を得べし。人を知り人に知らるるの始源は多くこの辺に在りて存するものなり。人望栄名なぞの話は姑(しばら)く擱(お)き、今日世間に知己朋友の多きは差向きの便利に非ずや。

    この「差向きの便利に非ずや」の部分が福沢諭吉らしいと感じるのは私だけでしょうか? 私のうがった先入観かもしれません。「差向き」を辞書で調べると、「さしあたり、とりあえず」と出て来ます。「友達がいっぱいいると、さしあたり、とりあえず便利だ」、なんとなく薄っぺらい朋友です。明治維新の志士たちは朋友のためには命を賭けたと思うのですが、、、。

    さて、結びの一番。

    「人にして人を毛嫌いするなかれ」、これは海外を見てきた福沢諭吉が当時の日本人に言いたいことの全てなのかも知れません。「井の中の蛙(ここでは鮒ですが)大海を知らずじゃだめなんだ」と。島の外に目を向けると色んな人がいっぱいいるし、島の外から日本という島国を見ると国の様相は呈していないし、国民のレベルは低い。

    交わりを広くするの要はこの心事を成る丈け沢山にして、多芸多能一色に偏せず、様々の方向に由って人に接するに在り。腕押しと学問とは道同じからずして相与に謀るべからざるようなれども、世界の土地は広く人間の交際は繁多にして、三、五尾の鮒が井中に日月を消するとは少しく趣きを異にするものなり。人にして人を毛嫌いするなかれ。

    「もう何でもいいから色んな人と交流しろ!」と哀願しています。

    ○●○ ○●○ ○●○ ○●○

    五編が抜けていました

    順不同にやっているから訳が分からなくなります(六編は国の法律の話なので省略です、十一編も省略)。

    今年の初めに映画「七人の侍」をDVDで観る機会があり、これは企業研修に使えると思っていたら、すでに同じ事を考えてコースに開発して実施している会社がありました。「学問のすすめ」も何らかの研修で既に使われているかも知れないですね(慶応義塾では活用しているでしょうが、、、、)。

    政治家の新人議員研修に使ってもいいかもしれません。


    第五編

    五編は独立の精神に関して。これは極めて重要だと思います。「独立の精神がないと文明なんて意味がないのよ」が主旨です。依存の精神で成り立っている今の日本としては耳が痛い話の筈です。

    明治6年、政府首脳からなる岩倉具視使節団が2年近く欧米諸国を歴訪して帰国しました。木戸孝允、大久保利通、伊藤博文、金子健太郎、牧野伸顕、中江兆民等がメンバーでした。学校で教えているかどうか怪しいですが、世界各国に日本は「国家」であると宣言しに行ったのですね。

    明治維新という革命を乗り越えた日本の政府首脳陣には日本という「国家」が常に頭の中にあったのでしょう。「国家って一体なんなんだろう?」と考えた。日本という島には多くの「藩という国」が存在していたのですが、いきなり、世界の中の「日本」という「国」になってしまったのですからね。

    咸臨丸で幕末期にサンフランシスコに行った勝海舟はサンフランシスコのホテルの赤い絨毯とエレベータとレディ・ファーストに驚いたそうですが、この総勢107名の岩倉具視大使節団は欧米諸国の実情を見てもっともっと沢山のことに驚愕したのに違いありません。福沢諭吉は勝海舟艦長の咸臨丸でサンフランシスコに同行していますが、岩倉具視の使節団には加わっていません。福沢諭吉は咸臨丸による訪米の後、単独でのヨーロッパ訪問と、ちょうど明治維新の時に再度のアメリカ訪問を行っています。

    福沢さんは、岩倉使節団の頃は方針が決まり塾経営(慶応)に忙しかったのでしょう。欧米諸国を自分の目で見てきて、「日本国民のレベルの底上げをしないと国の独立なんて有り得ない」と彼なりのプレッシャーを感じていたのだと想像します。

    『学問のすすめ』は、明治5年が初編で明治9年に十七編を書いて終了しています。
    岩倉具視使節団は明治4年から6年。

    「学問のすすめ」の第五編。

    今日に至るまで国の独立を失わざりし由縁は、国民鎖国の風習に安んじ、治乱興廃外国に関することなかりしをもってなり。外国に関係あらざれば、治も一国内の治なり。乱も一国内の乱なり、またこの治乱を経て失わざりし独立もただ一国内の独立にて、未だ他に対して鉾を争いしものに非ず。これを譬(たと)えば、小児の家内に育せられて未だ外人(よそびと)に接せざる者の如し。その薄弱なること固(もと)より知るべきなり。

    福沢先生は「日本は東洋のガラパゴスだ」とは言っていませんが、「家の中だけで育てられ未だに他人と接触がない幼児のようだ」と言っているのです。マッカーサーが日本人は12歳と発言した昭和の戦争後のずーっと前です。

    国の文明は形をもって評すべからず。学校といい、工業といい、陸軍といい、海軍というも、皆これ文明の形のみ。この形を作るは難きに非ず。ただ銭をもって買うべしと雖(いえど)も、ここはまた無形の一物あり、この物たるや、目見るべからず、耳聞くべからず、売買すべからず、貸借すべからず、普(あまね)く国人の間に位してその作用甚だ強く、この物あらざればかの学校以下の諸件も実の用をなさず、真にこれを文明の精神と言うべき至大至重(しだいしちょう)のものなり。蓋(けだ)しその物とは何ぞや、云く、人民独立の気力、即ちこれなり。

    このあたりが福沢諭吉の一万円札になった由縁かも知れません。「上っ面だけじゃだめよ、中身が大切よ」と言っています。大切な無形の一物は「独立の気力だ」と。

    人民に独立の気力あらざれば文明の形を作るもただに無用の長物のみならず、却って民心を退縮せしむるの具となるべきなり。
    (中略) 故に文明の事を行う者は私立の人民にしてその文明を護する者は政府なり。これをもって一国の人民あたかもその文明を私有し、これを競いこれを争い、これを羨みこれを誇り、
    国に一の美事あれば全国の人民手を拍って快と称し、ただ他国に先鞭を着けられんことを恐るるのみ。


    上の部分も極めて重要です。国家と国民のことを述べています。「文明の事を行う者は国民で、それを保護するのが政府である」と。「国に何か素晴らしいことがあれば(美事)国民はみんなで賞賛し、外国に負けないようにしましょう」。

    国家と国民の両方にこういった自覚がないと困ったものです。福沢諭吉は当時の明治政府のことをチクリチクリと批判している訳ですが、日本の情況は今でも大差ないように感じてしまうのです。主義主張の枠を越えて一丸となっていないぶん、現代のほうが劣るか?

    国民の先をなして政府と相助け、官の力と私の力と互いに平均して一国全体の力を増し、かの薄弱なる独立を移して動かすべからざるの基礎を置き、外国と鉾を争って豪も譲ることなく、今より数十の新年を経て顧みて今月今日の有様を回想し、今日の独立を悦ばずして却ってこれを憫笑するの勢いに至るは、豈(あに)一大快事ならずや。学者宜しくその方向を定めて期するところあるべきなり。

    主義主張や方法論は違うけど(明治政府のやっていることは好かんが)、政府とは別に自分らは自分らの信じるやり方で政府をサポートして日本を立派な独立国にして行こうと言っているのだと思います。

    独立心をベースにして外国に一歩も譲ることなく努力し、数十年たった将来、今日を振り返って笑い話とできればいいだろう。学者たるものはそういった気構えで取り組んでもらう必要がある。

    ***
  • 2015.07
    語学養成法(夏目漱石)
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    明治44年、夏目漱石が英語教育に関する提案を行ったのをご存知でしょうか? 漱石の提案は、イギリスでノイローゼや胃潰瘍になるまで苦しんだ経験の賜物ですから非常に重みがあります。経験の積み重ねから何かが生まれる「眼高手低」という訳です。

    漱石は、「有機的統一のある言語を、会話とか、文法とか、読解とかいうふうに、細かな科目に分けて教えるのはよくない。学生各自が互いに連絡のつくように教え込んでいかなければならぬ」と言っています。漱石は文学者だからなのか、語学だけでなく、職業や日々の生活まで有機的な統一のある人間を中心に考えていたようです。英語を細かな科目別に指導するという方法は、100年経った今でも同じです。要するに、大学受験がゴールである限り、教える側、採点する側の都合が優先されているのです。

    何も英語教育だけでなく、医学や全ての教育に云えることですね。 今の日本の基礎になってしまっている、、、、、。

    ○●○●○●○●

    『語学養成法』(明治44年)

    目次
    1. 語学の力の有った原因
    2. 語学の力の衰えた原因
    3. 改良の効果如何
    4. 改良の三要点
    5. 教師の養成
    6. 教師の試験
    7. 教科書の問題
    8. 時間の利用

    漱石が7章で提案している教科書の問題は、学校や受験とは関係なく子供たちが自分で対応できることなので、学校の英語の点数がどうあろうと是非とも実践して欲しいと思います。

    7.教科書の問題
    教科書は大いに考ふべき問題である。

    今の中学生はいろいろな書物を読んで、知らないでもいいような字を覚えるかわり、必要な字を覚えていない。まことにばかぱかしい話である。普通イギリス人はどれほどの単語を知っているかというに、きわめて僅少のものである。日本の中学生は、かれらの知らぬ字をかえって知っている。ひっきょう教科書がよく整理されていないからである。

    そこで、文部省では中学の英語教科書を作る必要がある。

    その教科書は一年から五年に通じて、普通の英国人がわかる文字と事項とを、まんべんなく割り振って排列するようにする。すなわち、かれらの一般に知っている文字と事がらには、五年中どこかで出会うが、そのかわりむずかしいジョンソンの『ラセラス』に出てくるような字はまったく省いて、生徒に無用な能力を費やさせないようにしてやる。そういう教科書を作るには、どうしたらよいかというに、わたしは外国の新聞を基礎にするのがいちばんよいように思う。

    『ロンドン・タイムス』でも『デイリー・メール』でも、一月一日から一二月三十一日まで通読すれば、いかなる文字といかなる事がらがいかに多く繰り返されて社会に起こるかがよくわかる。それでだいたいの統計を取れば、どの字と、どの事がらと、どの句が比較的いちばん必要であるかがわかる。わかったところを組織だてて教科書に編入する。中には三百六十五日のうち、何百ぺんとなく繰り返されるもの名あるに相違ないから、そんなものには重きをおいて、教科書中にも幾度も繰り返しておくと同時に、年にいっぺんとか、半年に一度ぐらいしか見あたらないものは、まったく省くことにする。そうすると、二三年たつうちに、かなり経済的に英語を短い時間内で教えるできる教科書が、科学的な、秩序立った系統の下に編成される訳である。

    こうしてこしらえた教科書をそのままに放り出しておかずに、外国新聞を基礎として、時勢の変化に伴って起こる言語文字の推移に注意して、十年に一度くらい宛改訂するつもりで永久事業としたら、生徒は大変な利益を得ることであろう。無論この事業は前に云った試験管の平生の仕事の一とするのである。顧問として適当な西洋人を雇うのも一法である。


    ***
  • 2014.01
    日本歴史を点検する(海音寺潮五郎と司馬遼太郎の対談)
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    お金や権力は永遠に続くものじゃないのですね。 でも、「精神」は脈々と受け継がれていくものです。 リーダーという立場の人は、その「精神」を受け継ぐ気概がないといけません。 ユダヤ教、キリスト教、イスラム教を信仰する人たちと違って、日本が受け継ぐべき「精神」は、宗教というよりも、多分に美意識のような、宗教に代わるべきものです。

    私は、外国人と靖国や神風特攻の話題になるときに、海音寺潮五郎と司馬遼太郎の対談『日本歴史を点検する』(1969年)を参考にして説明したものでした。 海外で仕事をする場合、こういった話題は、原爆や真珠湾と同様に必ずと言っていいほど出てきます。 もし、出てこなかったら、あなたの外国人との付き合いは、ごく表面的なレベルにとどまっているということでしょう。

    一神教の宗教を信じる人たちと同じで、日本の「精神」も日本人が譲れないものです。 つまり、双方の間にはバカの壁が存在します。 分かり合おうとか説得しようなんて思わずに、「日本人の意識の底とはこういったものだ」と説明すればいいのです。


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  • 2013.11
    読書について(ショーペンハウアー)
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    『読書について』が新訳で出版されていました。

    「読書は自分で考えることの代わりにしかならない。自分の思索の手綱を他人にゆだねることだ」(本文より)。

    頭の中の言語空間が広がらないうちに外国語を詰め込んだって、思考のベースラインを構築することはできませんね。 『読書について』は本を読むなと言っているのではなく、意義の有る中身のある本を何度も読んで、自分の思想を形成することが大事だと言っています。

    学校を卒業したら、自由に本を読んで考える時間を見つけるのは難しくなります。 学生時代、貴重な時間を社会人の真似事で無駄にする必要はない。 きっと、学校やマスコミに仕向けられているのでしょうが、反逆する学生さんの出現を待望します。

    「いかに大量にかき集めても、自分の頭で考えずに鵜呑みにした知識より、量はずっと少なくとも、じっくり考え抜いた知識のほうが、はるかに価値がある。 なぜなら、ひとつの真実をほかの真実と突き合わせて、自分が知っていることをあらゆる方向から総合的に判断してはじめて、知識を完全に自分のものにし、意のままにできるからだ」(本文より)。


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  • 2013.08
    吉田満 (戦中派の死生観)
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    8月の日本は嫌ですね。 油野郎がうるさい。 だから、半分日本人を辞めていたのに、帰国してもう4年が経とうとしています。

    相も変わらず、日本のマスコミ報道には目に余るものがあります。 アメリカも酷いですが、20%のジャーナリズム精神は、かろうじて残っているようです。

    敗戦後のアメリカ占領軍の言論統制は徹底したものでした。 アメリカがベトナム戦争に勝てなかった原因は、「情報統制をしないで、全てをオープンにしたため、国民が戦争の実態を知ってしまったからだ」と言われています。 ベトナム戦争を教訓としたアメリカ政府は、湾岸戦争イラク戦争と、徹底的に情報統制を復活させて、テレビゲームのような映像を国民に見せ続け、アメリカ国民は騙された。 もっとも、ヒスパニック系、中国系、ロシア系、韓国系、そして、要職にはユダヤ系と、誰がアメリカ国民がわからなくなった。

    江藤淳や吉田満が20~30年前に、警鐘を鳴らしていたことは、改めて正しかったのだと思います。 それは、「アメリカ占領軍の言論統制を、日本人が引き継いで、日本人が日本人を監視する体制が完成された」ということです。 つまり、日本のマスメディアが、アメリカ占領軍を引き継いで、自国民を監視統制する(呪縛する)システムを完成させたのです。

    しかし、日本人はこのまま騙され続けるでしょうか? 隣国が騒げば騒ぐほど、覚醒する日本国民は増えると思います。 今の子供たちは、これから半世紀後の世界を見ることができます。 歴史や世界情勢を知れば知るほど、老後を楽しむことができます!
    ***

    吉田満 『戦後日本に欠落したもの』(昭和55年 文芸春秋 『戦中派の死生観』より)

    ポツダム宣言受諾によって長い戦争が終わり、廃墟と困窮のなかで戦後生活の第一歩を踏み出そうとしたとき、復員兵士も銃後の庶民も、男も女も老いも若きも、戦争にかかわる一切のもの、自分自身を戦争協力にかり立てた根源にある一切のものを、抹殺したいと願った。 そう願うのが当然と思われるほど、戦時下の経験は、いまわしい記憶に満ちていた。

    日本人は「戦争のなかの自分」を抹殺するこの作業を、見事にやりとげた、といっていい。 戦後処理と平和への切り換えという難事業がスムーズに運ばれたのは、その一つの成果であった。

    しかし、戦争にかかわる一切のものを抹殺しようと焦るあまり、終戦の日を境に、抹殺されてはならないものまで、断ち切られることになったことも、事実である。 断ち切られたのは、戦前から戦中、さらに戦後へと持続する、自分という人間の主体性、日本および日本人が、一貫して負うべき責任への自覚であった。 要するに、日本人としてのアイデンティティーそのものが、抹殺されたのである。


    ***
  • 2013.05
    代表的日本人(内村鑑三)
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    朝から内村鑑三『代表的日本人』(1895年)を読み返していました。

    朝といっても、私のゴールデンタイムの午前3時頃ですが、、、。

    その中に、「ホウレンソウ(報告・連絡・相談)」に通じる記述があったので紹介しておきます。 これは、経営におけるビジョン/ミッションと人事制度などの各種制度との関係、及び、組織でのリーダーシップの根幹でもあります。

    資本主義の行き着くところなのか、各国は自分勝手な行動に突っ走る傾向にあります。 しかし、今の日本は外の世界との関係ではなく内部崩壊ですからね。 私は、日本は文明と文化の間にあるギャップを上手にマネージすることが下手なのだと思います。 そもそも自分たちに向き合わないことに慣れてしまった日本人は自分たちの文化に無関心になってしまった。 高度成長期にもどれという意見があります。 でも私は種子島の鉄砲伝来の16世紀あたりに立ち返り、安土桃山から徳川時代を振り返ってみるのが将来へのヒントになるような気がしてなりません。 信長・秀吉・家康やその後の将軍や幕府(shogunate)の幹部たちは、文明と文化のギャップのマネージに長けていたと思います。

    日本や中国の若いビジネスパーソンは、上司や組織への報告が義務である(fiduciary duty:受託者義務)ということに抵抗があるようです。 恐らく「義務」という言葉に違和感を感じるのでしょう。 しかし、欧米、特に白人社会では常識的なことです。特に、パートナーシップ方式で成り立つ会社(firm:ファーム)では、当然のことなのです。 明治初期までは存在した「心の通う制度」がなくなったのも、内村鑑三が指摘した以下のこと(「愛の律法」の欠落)と無関係ではないと思います。

    「心の通う制度」ができあがれば、リーダー(上司)の役割も指示・命令をする役割から、部下の実力を引き出し部下を支援する役割に変化していきます。 それが、日本では少々誤解(誤訳?)されている empowerment:エンパワーメントということです。

    内村鑑三『代表的日本人』岩波文庫 (P53)

    封建制にも欠陥はありました。 その欠陥のために立憲制に代わりました。 しかし鼠を追い出そうとして、火が納屋をも焼き払ったのではかと心配しています。

    封建制とともに、それと結び付いていた忠義や武士道、また勇気とか人情というものも沢山、私どものもとからなくなりました。 ほんとうの忠義というものは、君主と家臣とが、たがいに直接顔を合わせているところに、はじめて成り立つものです。 その間に「制度」を入れたとしましょう。 君主はただの治者にすぎず、家臣はただの人民であるにすぎません。 もはや忠義はありません。

    憲法に定める権利を求める争いが生じ、争いを解決するために文書に頼ろうとします。 昔のように心に頼ろうとしません。 献身とそれのもつ長所は、つかえるべきわが君主がいて、慈しむべきわが家臣があるところに生じるのです。

    封建制の長所は、この治める者と治められる者との関係が、人格的な性格をおびている点にあります。 したがって、いかなる法律や制度も「愛の律法」にはおよばないように、もし封建制が完璧なかたちで現れるなら、理想的な政治形態といえます。


    ***
  • 2012.03
    ライシャワーの日本史(エドウィン・ライシャワー)
    more
    1980年に入ってから『ライシャワーの日本史』は日本語版が出版されました。 30年ほど前のことです。

    ライシャワーさんは、結びに「これまで以上に意思疎通に熟達し、心底から他国民との共同体意識をもつことが日本人に求められているのである」と警鐘を鳴らしています。 日本が世界に貢献できることは理論的にはいくつか考えられるが、それには日本人が克服しなければならないいくつかの課題がある。 それらは、際立った独自性をもつ言語の問題や、対人関係にみせる特有の流儀、自分たちはユニークだという思い込みの排除だと言っています。ライシャワーさんは、結びに「これまで以上に意思疎通に熟達し、心底から他国民との共同体意識をもつことが日本人に求められているのである」と警鐘を鳴らしています。 日本が世界に貢献できることは理論的にはいくつか考えられるが、それには日本人が克服しなければならないいくつかの課題がある。 それらは、際立った独自性をもつ言語の問題や、対人関係にみせる特有の流儀、自分たちはユニークだという思い込みの排除だと言っています。

    ライシャワーさんは、当時の日本を「世界で最も安定した健全な大国として1980年を迎えた」と賞賛しています。 ライシャワーさんが今の日本を見たらどう思うでしょうか? かなり落胆されるでしょうね。 自分の愛するものに裏切られた、、、と。 勿論、世界情勢も30年前とは劇的に変化しました。 ライシャワーさんは、ソ連の崩壊や東西ドイツの統一、アメリカの弱体化や中国の急速な成長はご存じありません。

    資本主義の行き着くところなのか、各国は自分勝手な行動に突っ走る傾向にあります。 しかし、今の日本は外の世界との関係ではなく内部崩壊ですからね。 私は、日本は文明と文化の間にあるギャップを上手にマネージすることが下手なのだと思います。 そもそも自分たちに向き合わないことに慣れてしまった日本人は自分たちの文化に無関心になってしまった。 高度成長期にもどれという意見があります。 でも私は種子島の鉄砲伝来の16世紀あたりに立ち返り、安土桃山から徳川時代を振り返ってみるのが将来へのヒントになるような気がしてなりません。 信長・秀吉・家康やその後の将軍や幕府(shogunate)の幹部たちは、文明と文化のギャップのマネージに長けていたと思います。

    ***
  • 2012.02
    東洋的な見方(鈴木大拙)
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    アメリカで一番有名な日本人って誰でしょう?

    イチロー、マツイ、それとも、クロサワかオザワ? (オザワと言ってもセージ・オザワですよ)。 ノダソーリと言ってみたところで誰も知らないでしょうね。

    私はヨーコ・オノだと思います。

    ニューヨークというと、摩天楼のそびえ立つマンハッタンをイメージしがちですが、ニューヨーク郊外の居住区は「森のなか」というのが実際のところです。 マンハッタンから電車で30分ほど北に行った森の中にサラ・ローレンス大学があります。 ヨーコ・オノはサラ・ローレンス大学の学生でした。 その頃に鈴木大拙の話を数回聞いたことがあるそうです。 また、渡米する前、彼女が学習院の学生だったころから仏教に興味があり、鎌倉の禅寺に通っていたこともあるとか(大拙の若い頃に似ています)。

    私が最初にビートルズのレコードを買ったのは、「マジカル・ミステリー・ツアー」(1968年 日本)です。 この後、「ヘイ・ジュード」、「ホワイトアルバム」、「イエロー・サブマリン」、「アビー・ロード」、「レット・イット・ビー」と続きます。 ビートルズの音楽はマジカル・ミステリー・ツアーあたりから単なるポップ・ミュージックでなくなったと思います。 それはヨーコ・オノの影響でしょうね( ヨーコとジョン・レノンの出会いは1966年です)。 ジョン・レノンやジョージ・ハリソンの歌詞は東洋の影響を受けたものになってきました。 シンプルだけど深みのある内容に変わってきたのです。

    鈴木大拙は、1962年に書いています(『東洋的な見方』 岩波文庫)。

    アメリカで、コロンビア大学に関係のあったころ、その学校の百年祭だったか、百五十年祭かの催しがあって、わしらにも何か喋舌れといわれた。 「自由」とか、何とかいってお祭り騒ぎをするが、人間がこの有限な世界で二元的に物事を考えているかぎり、いくら「自由」を叫んでも、それは無意義だ。

    西洋のリバティやフリーダムには、(東洋的)自由の義はなくて、消極性をもった束縛または牽制から解放せられるの義だけである。 それは否定性をもっていて、東洋的の自由の義と大いに相違する。つまり、(東洋的)自由はその字のごとく、「自」が主になっている。 (東洋の)自由は「自然」と同じく自由の自には自他対立の意義を含まないで、ただ一面の自である、すなわち絶対性を持つ自であることを心得ておくべきだ。

    鈴木大拙は上のように、東洋的自由を説明しました(大拙の言う括弧付きの「自由」は西洋の自由です)。 ヨーコはコロンビア大学の鈴木大拙の講演をマンハッタンのコロンビア大学まで聞きにいったのかも知れませんね。

    ヨーコから禅の思想を吸収し、「東洋的な見方」をジョンの魂として創作していったのでしょう。 ジョンのような人が今でも生きていてくれれば、、、。

    Because the world is round
    It turns me on
    Because the world is round

    Because the wind is high
    It blows my mind
    Because the wind is high

    Love is old, love is new
    Love is all, love is you

    Because the sky is blue
    It makes me cry
    Because the sky is blue


    ***
  • 2011.05
    大衆の反逆(オルテガ)
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    昔はよく理解できなかった本でも、今読むと「なるほど、、、」と思うことがあります。オルテガの『大衆の反逆』もそういった一冊です。 ちゃんとした先生がいれば、高校の授業で取り上げると面白いと思いますね。大学受験のための夏期講習なんかより、人生の役に立つこと請合いです。

    オルテガはスペインの哲学者で、『大衆の反逆』は1930年に出版されました。二つの世界大戦の間、世界大恐慌の真っ直中です。オルテガが憂慮した『大衆の反逆』とは一体何のことを言っているのでしょうか? それは、凡庸な平均人が権力の座に登りつめたという事実に警鐘を鳴らしていることです。マルキストやファシストの左右両翼のことを言っているのかも知れませんし、当時新興国であったアメリカのことを指しているのかも知れません。

    オルテガは、大衆人が持つ共通の性質は 『大衆とは、善い意味でも悪い意味でも、自分自身に特殊な価値を認めようとはせず、自分は「すべての人」と同じであると感じ、そのことに苦痛を覚えるどころか、他の人々と同一であると感ずることに喜びを見出しているすべての人のことである』と説明しています。

    また、『大衆人は満足しきったお坊ちゃんだ』とも言っています。お坊ちゃんとは、『家の外でも家の内と同じように振る舞うことができると信じている人間であり、致命的で、取り返しの付かない、取り消し不可能なものは何もないと信じている人間のことである』と。

    大衆人は、甘やかされた子供と同じで野蛮人に近い。これは、福沢諭吉が「野蛮、つまり禽獣の世界から出来る限り遠ざけ文明に近づけることが教育だ」といったことに近いと思います。哲学者というのは、ソクラテスやプラトンの時代から表現は違っていても同じことに帰結するのだと思います。それは、いつの時代でも「人間」を扱っているからですね。

    『今日の大衆人は自分がなんの思想も持ち合わせていないと知りながらあらゆる社会的な活動に首を突っ込むだけでなく、あろうことか、社会に貢献しうる有能で創造的な人間を「みんなと一緒でない」という理由で敵視している。人々はますます凡庸化・平均化していく一方、社会の構造はますます複雑になり、その複雑な社会に挑みうる有能な人材の創造性は大衆により圧殺される危険にさらされている』。

    このような危機的状況をオルテガは『大衆の反逆』と呼んでいます。

    オルテガが指摘した『大衆の反逆』とは、まさに現代の日本にそのまま当てはまる現象ではないでしょうか?「国民のみなさま、いかがでしょうか!」と声高に叫ぶ日本の政治家を見ていると、ノブレス・オブリージュなどとは無縁の大衆人の特徴を備えているようです。

    「大衆」とは「マス」ですよね? マス・メディアが発達(倒錯?)した今の日本において、つまり、一億総大衆化した日本では、国外から一定の方向に日本全体を誘導することなんて簡単でしょう。マス・メディアを押さえればいいわけですから。

    この状況を打ち破るには、マス・メディアからの垂れ流し情報を軽信するのではなく、自らが積極的に政治や社会問題を考え情報を収集していくしかないでしょう。高校3年生の夏休み、オルテガの「大衆の反逆」に1ヶ月を費やすくらいの余裕が欲しいですね。

    ***
  • 2010.10
    葉隠(山本常朝)/葉隠入門(三島由紀夫)
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    葉隠とは武士のコーチング

    最近、コーチングとかカウンセリングとか流行っているのでしょう(2009年当時)。 よく耳にします。メンタリングも同様に、それぞれが意味するところは曖昧です。正確な定義などないのでしょう。他人に意見をするのは難しいことです。私なんか10年ほど前までは何の迷いもなく、「コーチングとはこうだ」、「カウンセリングとはああだ」と臆面もなく言っていましたね。今考えると赤面ものです(私の人生は赤面ものが多すぎる、、、、)。

    人に意見するのは本当に難しいことです。他人の長所や短所を見付けるのは簡単です。普通、短所を見付けることは長所を見付けるよりも簡単です。何でも批判することは簡単ですが、相手に理解してもらい、改善してもらうことは難しい。以下は、重要なポイントです。

    ① 相手の性格を見きわめる
    ② 相手との距離を考える
    ③ 言い方やタイミングを選ぶ
    ④ 相手に気づかせるように話す

    これは、アメリカのコーチングやカウンセリングのメソッドを拝借して言っているのではありません。
    江戸時代中期に佐賀鍋島藩士山本常朝が口述した『葉隠』の中にあるのです。

    「人に意見をして疵(きず)を直すと云ふは大切なる事にして、然(しか)も大慈悲にして、ご奉公の第一にして候。意見の仕様、大いに骨を折ることなり。およそ人の上の善悪を見出すことは易き事なり。それを意見するもまた易き事なり。大かたは、人の好かぬ云ひにくき事を云ふが親切のやうに思ひ、それを請けねば、力に及ばざる事と云ふなり。何の益(やく)にも立たず。ただ徒(いたずら)に、人に恥をかかせ、悪口すると同じ事なり」。(後略)

    さて、三島由紀夫は『葉隠入門』でどう言っているのでしょう?

    「男の世界は思いやりの世界である。男の社会的な能力とは思いやりの能力である。武士道の世界は、一見荒々しい世界のように見えながら、現代よりももっと緻密な人間同士の思いやりのうえに、精密に運営されていた。常朝(「葉隠」の著者である山本常朝)は人に意見をするにも、次のような配慮と、次のようなデリカシーをつぶさに説いている.。(中略) 彼が人に忠告を与えることについての、この心こまかな配慮をよく見るがよい。そこには、人間心理についての辛辣なリアルな観察の裏づけがあるのであって、常朝はけっして楽天的な説教好き(人間的にもっとも無知な人びと)の一人ではなかった」。

    三島由紀夫は、「デリカシー」という言葉を使っています。このあたりが三島らしいところですね。
    私も楽天的な説教好きの一人にならないようにしなければ(遅きに失する?)。失礼しました。

    ***
  • 2010.09
    Brave New World すばらしい新世界(オルダス・ハクスリー)
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    『オーウェルの「1984年」をブログに書いたんだね。「1984年」よりオルダス・ハクスリーの「Brave New World(すばらしい新世界)」を話題にするほうが知的だよ。それに、今の日本に近いと思う』と息子に言われました。

    「息子も私のブログを読むことがあるんだ、、、」と少し驚きました。早速、『すばらしい新世界』を読んでみました。息子に渡されたのは英語版だったので、読むのに時間がかかると思い日本語の文庫本をオーダーしました(講談社文庫)。ハクスリーが1932年に発表した小説ですので、今から80年前のSFディストピア小説です。ディストピアとはユートピアとは反対で、極端な管理社会で基本的な人権が存在しない社会のことです。

    登場人物の一人バーナードは「すばらしい新世界」では「できそこないの人間」です。みんなが政治的なことに興味を持たなかったり、本を読むことに興味を持たなかったりするのが当たり前である中で、彼は苦悶します。つまり、彼だけが問題意識を持ってしまうからです。支配しようとする人間にとっては、大衆が問題意識を持つということは非常に「危険」なのですね。また、「すばらしい新世界」には、「野蛮人生活区」と呼ばれる「未開地区」という保護区域が存在します。そこでは、子どもは「すばらしい新世界」のように試験管からではなく、母親のお腹の中から産まれてくるのです。ここで育ったのがジョンです、ジョンは「すばらしい新世界」に連れてこられるわけですが、ジョンの目にはこの社会はどうしようもない「愚者の楽園」としか見えません。ジョンは町でソーマの配給を妨害し逮捕され、支配者である総統から「すばらしい新世界」の全貌を説明されます。ソーマというのは「1984年」で出てくるプロレフィードですが、ここでは麻薬です。

    今の日本人にとって、ハクスリーが「すばらしい新世界」で描いたディストピアは、ディストピアでなく本物のユートピアだと感じるのではないでしょうか?そして、日本の政治を見ていると、「すばらしい新世界」の構築に邁進しているかのように感じるのですが、そう思うのは私だけ?

    みなさんの感想をお聞かせ下さい。

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  • 2010.07
    十五年間/冬の花火/トカトントン(太宰治)
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    私の散歩道に、太宰治が山崎富栄と入水自殺した場所があります。歩道の脇に玉鹿石(ぎょっかせき)という岩石がポツンと置いてあるだけです。何の説明もなく、ただ「青森県北津軽郡金木町産 1996年(平成8年)6月」と書かれたプレートがあるだけなので(北津軽郡金木町は太宰の故郷)、ここが太宰治が入水自殺した地点とは分かりません。

    小学校か中学校の教科書といえば、太宰治の「走れメロス」ですねぇ。なぜなんでしょうね?いまでも載っているようです。もし、太宰治がこのことを知ったら苦笑いでしょうか?太宰治は明治42年生まれ、自殺したのが戦後1948年(昭和23年)38歳の時です。太宰が「走れメロス」を書いたのは1940年30歳の時、真珠湾攻撃よりも前のことです。

    太宰治は1945年に「パンドラの匣」、1946年に「十五年間」、1947年に「トカトントン」、「冬の花火」と「斜陽」、そして最後に「グッドバイ」と「人間失格」を発表しています。戦後の一連の作品をよーく読むと、太宰治の自殺は単なる心中ではなく、もっと複雑な要素がいっぱい絡まっていたのではないかと思ってしまいます。

    敗戦後、日本国民は豹変しました。日本人の多くは、マッカーサーを征服者ではなく保護者と見なして従順に従いました。これには、マッカーサーも驚いたでしょうね。占領政策は、心配していた日本軍の武装解除なんて何の問題もなかった。それよりも、もっと重要なことに気付いた。それは、日本人の精神の武装放棄です。つまり、この国のバックボーンとなる文化と伝統ですね。それで、徹底した言論統制を行ったのです。占領軍の検閲は、検閲削除が行われた事実すら明らかにしてはならないという徹底したものでした。戦前戦中の日本政府よりも厳しかったんですね。これらは、学校の歴史の授業では出て来ません(興味のある方は、江藤淳著「忘れたことと忘れさせられたこと」文春文庫を読んでください)。

    太宰治の戦後の一連の作品をよーく読んでみると、占領軍の検閲に対する憤りと、戦後180°転換した日本人に対する絶望感があるのではないかと思います。明らかに戦前戦中の作品とは違うように感じるのです。小学校や中学校で「走れメロス」を教えるのではなく、高校生になってから太宰治の戦後数年の作品を読ませて、戦後の日本文学とアメリカ軍の占領政策についてクラスで議論すると、かなり面白い授業ができると思います。

    ○●○ ○●○ ○●○ ○●○

    「十五年間」(昭和21年)
    真の勇気ある自由思想家なら、いまこそ何を措(お)いても叫ばなければならぬ事がある。天皇陛下万歳! この叫びだ。昨日までは古かった。古いどころか詐欺だった。しかし、今日に於いては最も新しい自由思想だ。十年前の自由と、今日の自由と内容が違うとはこの事だ。それはもはや、神秘主義ではない。人間の本然の愛だ。アメリカは自由の国だと聞いている。必ずや、日本のこの真の自由の叫びを認めてくれるに違ひない。

    「冬の花火」(昭和22年)
    「負けた、負けたと言うけれども、あたしは、そうじゃないと思うわ。ほろんだのよ。滅亡しちゃったのよ。日本の国の隅から隅まで占領されて、あたしたちは、ひとり残らず捕虜なのに、それをまあ、恥かしいとも思わずに、田舎の人たちったら、馬鹿だわねえ、いままでどおりの生活がいつまでも続くとでも思っているのかしら、相変らず、よそのひとの悪口ばかり言いながら、寝て起きて食べて、ひとを見たら泥棒と思って、(また低く異様に笑う)まあいったい何のために生きているのでしょう。まったく、不思議だわ」。

    「あたしは今の日本の、政治家にも思想家にも芸術家にも誰にもたよる気が致しません。いまは誰でも自分たちの一日一日の暮しの事で一ぱいなのでしょう? そんならそうと正直に言えばいいのに、まあ、厚かましく国民を指導するのなんのと言って、明るく生きよだの、希望を持てだの、なんの意味も無いからまわりのお説教ばかり並べて、そうしてそれが文化だってさ。呆れるじゃないの。文化ってどんな事なの? 文のお化けと書いてあるわね。どうして日本のひとたちは、こんなに誰もかれも指導者になるのが好きなのでしょう。大戦中もへんな指導者ばかり多くて閉口だったけれど、こんどはまた日本再建とやらの指導者のインフレーションのようですね。おそろしい事だわ。日本はこれからきっと、もっともっと駄目になると思うわ。若い人たちは勉強しなければいけないし、あたしたちは働かなければいけないのは、それは当りまえの事なのに、それを避けるために、いろいろと、もっともらしい理窟がつくのね。そうしてだんだん落ちるところまで落ちて行ってしまうのだわ」。

    「トカトントン」(昭和22年)
    もう、この頃では、あのトカトントンが、いよいよ頻繁に聞え、新聞をひろげて、新憲法を一条一条熟読しようとすると、トカトントン、局の人事に就いて伯父から相談を掛けられ、名案がふっと胸に浮んでも、トカトントン、あなたの小説を読もうとしても、トカトントン、こないだこの部落に火事があって起きて火事場に駈けつけようとして、トカトントン、伯父のお相手で、晩ごはんの時お酒を飲んで、も少し飲んでみようかと思って、トカトントン、もう気が狂ってしまっているのではなかろうかと思って、これもトカトントン、自殺を考え、トカトントン。

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  • 2010.05
    考へるヒント(小林秀雄)
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    生き甲斐と言うほど大袈裟ではないですが、公から引退して私的な生活を楽しむことができない場合、なかなか苦しい老後になりそうですね。私的な生活を楽しむということの前提は、福沢諭吉が言うところの「私立」です。つまり、自分で立つということです。「自立できない中高年の心のケア」なんて言うのが、国会の最大の議題になる時が来るかもしれません。

    「考へるヒント」(昭和37年)で小林秀雄が福沢諭吉について書いています(台湾のカブちゃんに教えてもらいました)。「考へるヒント」は何十年も前に読んだのですが、当時は何も理解していなかったんですね。しかし、何度も読める本は本当に価値がある。おまけに経済的です。

    小林秀雄によると、福沢諭吉の言う「私立」の本義とは「痩我慢」、我慢自体に価値を求めんとする心の動きだそうです。「私情と公道の緊張関係の自覚である」と。なるほど、「私」と「公」のバランスですね。多様性を楽しみ、その中でバランスをとることに長けていた福沢諭吉の本質じゃないかと思います。

    どうも、日本人は多様性の中でバランスをとることが苦手のようです。

    穏やかで温厚な民族なのに極端から極端に走りやすい。軽信しやすいとも言えます。だから、軽佻浮薄なテレビ・新聞にコロッと騙されます。個人としての多様性が集団としての多様性を生み、組織、または、国家としてのダイナミズムにつながります。外国人をこの狭い日本列島に招き入れて多様化だなんてダメですよ。先ずは、日本人が個人としての多様性、つまり、「私」と「公」のバランス感覚を身につけないと、外国人が混じると難度は更に高くなるでしょう。愚鈍な(愚直ではないですよ)リーダーでは無理です。

    蛇足ながら、ワシントン・ポストのコラムニストには「loopy」なんていまに消えて無くなるような言葉じゃなくて、「perpetual puerility(永遠に幼稚であること)」くらいは使って欲しかった。loopy は groovy と一緒で今の若者からするとダサイ言葉ですね。
    私の場合、多様性がありすぎて何一つまともに出来たためしがない。コントロール不能に陥っています。

    連休中にストラトキャスターの弦を極太に交換しました。バカですねぇ、スティービー・レイボーンと同じ太さの弦を張ると同じように弾けるのではないかと考えたんですね。


    ***
  • 2010.03
    戦後日本に欠落したもの(吉田満)
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    日本は、全体主義にも社会主義にも民主主義にも社民主義にも衆愚にもアナーキズムにも、あらゆる方向に向かっていますね。それは、日本に国としての「アイデンティティ(identity)」がないからでしょう。そして、それを修正するには義務教育から変えていくしかないと思います。 今、義務教育を総取っ替えしても、効果が出るまでに20~30年はかかってしまいます。

    私は子供の頃から「日本はなぜ300万人も死ぬような馬鹿な戦争に突入したのか」と、疑問に思っていました。ところが、私の受けた日本の義務教育はそれを解明する助けにはなりませんでした。それが日本の戦後民主主義の大きな問題だろう思います。私が義務教育を受けた頃から随分と時は経ったのですが、ここ数ヶ月日本の教育事情を調べてみて(2009年当時)、今の日本でも何ら変わっていないことがよく分かりました。

    戦後民主主義の代表のような鳩山総理(当時)は、日本という国家のアイデンティティをどう考えているのでしょうか?お祖父様の鳩山一郎さんはマッカーサーに公職追放になりました。鳩山一郎が言いたかったことは、アメリカ側の戦争責任も含めて戦争で亡くなった人たちのためにも戦争原因を解明し、戦争全体を振り返ることではなかったのかと思います。

    このことを先送りすることによって、いつまでたってもグローバルに活躍できる日本人は出てこないでしょう。

    以下は、吉田満さんの『戦後日本に欠落したもの』からの引用です。

    吉田満さんは、戦艦大和の生き残り将校です。


    吉田 満 「戦後日本に欠落したもの」 (昭和55年 文藝春秋)

    われわれ日本人は、戦争と敗戦の経験を通じて、本当に目覚めたのか。日本が孤立化の道を突き進んだ果てに、奇襲攻撃によって戦端を開かざるをえなかった経緯の底流にあるものを、正確に解明することができたのか。

    自分は日本人であるという基盤を無視し、架空の「無国籍市民」という前提に立って、どれほど立派な、筋の通った発言をくり返そうとも、それは地に足のついた、説得力のある主張とはならないであろう。平和、自由、民主主義、正義。そのどれを叫んでも、言葉が言葉として空転するだけで、発言は心情的に流れ、現実の裏づけがないのである。

    昭和年代の日本が戦争に傾倒してゆく過程で、最も欠いていたものは、眼前にある現実を直視し、世界のなかで日本が占めるべき位置を見抜く大局観と、それを実行に移す勇気であった。列国とのバランスの上で日本にあたえられるべき座標を、過たずに見定める平衡感覚であった。

    戦時下の日本が持っていた最もいまわしきものは、おそらく「人間軽視」「人間性否定」だったであろう。したがって今日、その反動のように、「個人の尊重」を誰もが声を大にして叫ぶが、事実、人間は人間として尊重されるようになったであろうか。今の時代は、人間らしい生き甲斐をあたえてくれているのだろうか。

    人間が大切にされているように見えるのは、人間そのものとして尊重されているのではなく、ただおのれの権力を及ぼすべき対象として、自分の利害にかかわる貴重な要員として重視されているに過ぎないのではないか。

    ***
  • 2010.03
    日本人の意識構造(会田雄次)
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    30数年ぶりに会田雄次の「日本人の意識構造」を読みました(1972年出版)。

    会田雄次は、京都帝国大学文学部の講師だった1943年に応召し、ビルマ戦線に歩兵一等兵として従軍しました。
    終戦でイギリス軍の捕虜となり、1947年に復員するまでラングーンで拘留されました。

    会田さんは、多くの著書の中で日本人論を展開しています。当時(昭和45年)の日本社会を戦前派と戦中派と戦後派に分けて比較しています。会田さんの言う戦前派は明治生まれで大東亜戦争に行かなかった人たちで、戦中派は会田さんのように当時20代で戦争に行った人たちです。戦後派に関しては、第一次戦後派と戦後生まれの第二次戦後派(団塊世代を含む)に分類しています。

    会田さんの言う第一次戦後派は、私がマッカーサー呪縛世代と呼んでいる世代で、会田さんはこの世代を 「インチキなサッカリン漬け教育でふやけた世代」と容赦ないのです。第二次戦後派に関しては、まだ若すぎて何とも言えないとしながらも、ゆとりと自信に乏しい競争世代であると指摘し、その原因は、宙に浮いた理想主義と自分たちの劣等意識を持つ先生たちの教育にあると言っています。

    もし会田さんが生きていたら、今の日本をどう評論したでしょうね。辛口の会田さんは、「日本人の、ほめられると有頂天になり、けなされると逆上する欠点は、団塊世代が受け継ぎ、団塊に続く日本のえせリーダーたちに滔々と受け継がれている」と言うのではないでしょうか? (私の想像ですよ、、、念のため)。


    「日本人の意識構造」のあとがきより

    アメリカはまだよい。そこにはきびしさがある。自分が誤っていたと認めれば、率直に反省し、大胆に自分を変えていける国民だ。今日の苦悶を脱皮するための転機としうる可能性がある。しかし、うわっつらだけをアメリカに真似てきた日本はどうなることか。たとえばえせデューイ哲学でおかされきった教育界は、すっかり偽善理想主義と責任転嫁術だけを身につけてしまった。

    (中略)

    私は、今日は、もう戦後の自失を回復して日本人自身が日本を発見してよいときではないかと思う。そのことは何も戦前の独善性に帰ることを意味しない。ただ、もう少し広く深いところから日本人が自らの長所と短所を見きわめ、新時代へと前進する手がかりをつかむべきだというだけである。

    ***
  • 2009.12
    動物農場/アニマル・ファーム(ジョージ・オーウェル)
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    今日はジョージ・オーウェルの「動物農場」を紹介しましょう。

    物語は、豚のメージャーが動物たち自身による自主独立の理想的な農場のビジョンを語ることから始まります。 メージャーの死後、残された動物たちが反乱を起こして人間たちを追放し、理想の「動物農場」が誕生したかに思われました。

    このとき、リーダーシップをとったのが,繁殖用の豚のスノーボールとナポレオンです。さらにこれに従うのが、それ以外の食肉用の豚とメスの豚たち。 彼らは,全動物たちのうちで、一番知能がすぐれていることになっていて、それ以外の馬、牛、鶏、羊たちは,その経験や知識の足りなさから、結局、豚たちの一方的な指導に従わざるをえないのです。

    その後、人間たちが農場奪回にやって来ます。しかし、スノーボールたちの作戦が成功して、人間たちを撃退します。
    こうして、動物たちは革命の勝利の喜びにわき、自分たちの農場の誕生を祝います。

    やがて、スノーボールとナポレオンの権力闘争が始まったのです。犬たちを軍隊に仕立てたナポレオンによって、スノーボールは追放されてしまいます。これまでにも、豚たちの特権階級化の様相が見えはじめていたのですが、 これをきっかけに、事態はますますナポレオン独裁体制に向かって進んでいくのです。

    この動きにもっとも貢献したのがスクゥイーラーという名の宣伝係でした。 言葉巧みに、一般の動物たちを操る彼の手腕により、他の動物たちはナポレオンの意向にしたがわざるをえません。

    ボクサーという勤勉で忠実な馬は、革命のために献身的な努力をしてきたのですが、この事情を飲み込めず、「ぼくはもっと働くぞ、ナポレオンは正しいぞ」というモットーのもとに、ただただ働きつづけ、悲惨な最期を遂げて死んでしまいます。

    動物たちが自分たちのために作った「七戒」という憲法のような法律も、豚の手によって都合良く書きかえられ、
    理想の「動物農場」は以前の「荘園農場」にも増した豚一群の独裁的な農場に変わったところで物語はおしまいです。
     
    つまり、この小説は「全体主義 」がどのように誕生するか、そのプロセスを明確に教えてくれています。

    ボクサーと言う馬のアプローチはいつも同じです。それは「もっと頑張って働くよ」です。ボクサーの素直な勤勉さは、みんなが現実を冷静に判断することを阻害します。しかし、実は彼が働けば働くほどみんなの仕事が増えるのです。農場を経営する豚たちは、実は、自らの利益のためだけにボクサーを操っていた。ボクサーの勤勉さは、豚たちの意図を隠し、豚たちのねらいを他の動物から見えにくくする働きをしたのです。

    10年近く前の年末、日比谷のテント村が話題になっていました。 ニューヨークから見ていて非常に奇異に感じていました。「蟹工船」も流行っているとのことでした。映画にもなったとか。

    日本の若者には「蟹工船」ではなく、ジョージ・オーウェルの『動物農場』や『1984』を読んで欲しいと思います。
    『動物農場』は短編なので小学生にもお勧めの一冊です。

    ***